本記事では2021年3月から新たに当サイトのライターとして加わった京大法学部の中村による京都大学世界史の論述問題対策の記事第1回目となります。京大模試の英語・世界史で全国1位、総合点でも全国2位を取った凄い方です!ぜひ最後までご覧になってください!
彼の紹介はこちらから→【ライターの紹介】中村 悠生(京都大学法学部1回生) | Sacramy

目次
まえがき
こんにちは、ライターの中村です。これから毎週更新をしていく京大世界史の論述対策の第1回です。できる限り毎週更新していきますのでよろしくお願いします!(遅れたらすいません。)では、いきましょう!
この論述対策の活用法
進め方
1. 約1週間で更新される論述問題を2題解く。
2. 解答・解説をもとに学習する。
3. 復習を繰り返す。
注意
1. 解答をいきなり書き始めない
→後で思い出して記述に追加したい内容もあるので、先にメモを作りましょう。
2. 必ずしも紙に書く必要はない
→スマホで打つだけでもよいです。ただし、字数はきちんと守ってください。
3. できるだけ添削を受ける
→自分ではわかっていなかったところに気づけるでしょう。
4. 教科書や参考書などを見ながら書く
→正確な知識に基づいて書くことで正確な知識が身に付きます。
答案の添削について
これらの注意点を踏まえ、中村が希望者に添削をしたいと思います。条件は以下の2点です。
1. TwitterのDMで行います。Twitterのアカウントは@yu_naka64です。
2. 添削希望の答案をスマホで打ってDMに送ります。写真を撮ったものは受け付けません。
→答案から一部分を抜き出して適宜コメントできるようにするためです。
無料で添削を受け付けていますので、どしどし応募してみてください!
問題
・論述問題1-オリエント
紀元前一千年紀にオリエント世界は二度にわたり統一された。統一を果たしたアッシリアとアケメネス朝両帝国の支配体制、領域の異同を、両国崩壊の過程と関連付けて300字で述べよ。(京大実戦・改)
・論述問題2-ギリシャ・ローマ
戦争が政治・社会に与える影響はどこでも大きい。そこでギリシア・アテネがペルシア戦争によって受けた影響や、共和政ローマがポエニ戦争によって受けた影響は顕著である。そこで双方の戦争が二つの国に与えた影響を、政治体制・経済・軍事などの面を比較して共通点と相違点を300字で述べよ。(京大実戦・改)
問題1 解答・解説
1. 問題の要求の確認
論述問題では、主題と副題を区別して考えることが極めて大切です。メモを作る前に何を問われているかを明確にしてから取り組みましょう。
主題:アッシリアとアケメネス朝の支配体制、領域の異同
副題:崩壊の過程と関連づけて
と分解できます。
2. 構想メモ作り
論述問題ではこの構想メモを作る段階が一番大切になってきます。このメモの正確さで点数が決まるといってもおかしくありません。時間をかけてじっくり作りましょう。
支配体制の違い
教科書の該当ページを見比べてみればわかりますが、両者とも中央集権体制を取っていたことがわかります。中央集権体制を維持する制度として、全国を州に分割し、各州に総督を派遣していたことがわかります。(主となる体制と、それを維持するための制度はともに書きたいです。)また、両者とも官僚制を整備していました。古代から税制を整備する能力を持っていたイラン人たちは、後々さまざまな国家で重宝されることになります。
相違点ですが、アッシリアは重税と圧政(強制移住、労働)をしていた一方で、アケメネス朝は服属民に寛容だったことがわかります。参考までに、前者はティグラト・ピレセル3世、後者はダレイオス1世が有名です(人名は字数を取るので重要でなければできたら避けたいです。)。また、バビロン捕囚に言及できるとより良いです。前者のネブカドネザル2世が捕囚を行い、後者のキュロス2世が解放したという経緯があります。
支配領域の違い
前者はオリエントだけ、後者はオリエントを超えて広がりました。アケメネス朝はインダス川沿岸から小アジアまで支配しました(領域などは必ず教科書の地図で確認しましょう。)。ちなみに、アケメネス朝が広大な領域、とりわけイラン方面を支配できた要因を考察しておくと、アッシリア滅亡後にオリエント世界に4つの王国が出現し、そのうちイラン方面にあったメディアから成立した国家がアケメネス朝であるからだといえます。(アケメネス朝ペルシア、と言いますが、そのペルシア人はイラン人の一環です)
崩壊の過程
これは何を書けば良いのか難しい部分です。なぜ崩壊したかを書いておくならば、前者は重税や圧政に反発した服属民の反乱で、後者はアレクサンドロスの遠征です。これに加えて、統一の長さも比較できているとより良いです。前者は1世紀持たずに滅亡しましたが、後者は2世紀の間安定した統治を保ちました。
上記の内容からメモを作ると以下のようになります。比較の問題なので、対照的な表を作ることが重要です。比較ができていないと得点は見込めません。

3. 答案作成
上記のメモを参考に答案を作成します。はじめは300字に上手く調整するのが難しいと思いますが、自分が納得できるまで答案を書き直すことが大切です。(このこともあって答案を手で書くことはおすすめしていません。)
(中村の解答例)
アッシリアとアケメネス朝は国内の分割と各州への総督の派遣、駅伝制の整備などの中央集権体制をとった点では共通しているが、前者は被征服民に対し重税や強制労働を課し、バビロン捕囚を行うなど威圧策をとる一方、後者は服属民に自由な信仰や自治を認めたり、バビロン捕囚を解放するなど寛容策をとる。支配領域。前者はオリエントの統一で終わり拡大しなかったが、後者はイランにおこりオリエントだけでなく東はインダス川、西は小アジアまで支配する。崩壊の過程。前者は服属民の反抗で統一後1世紀に満たずに滅亡するが、後者はペルシア戦争の後も支配を続けたがアレクサンドロス大王の遠征により滅亡し、2世紀に及ぶ統一が終わった。(297文字)
→3つの要素に分けて簡潔にまとめました。最後は上手くまとめましたが、自己流の書き方で良いと思います。比較の問題で答案を作成するときの注意点ですが、比較している要素の順番を変えないようにしましょう。一方をA→B→Cと書いたらB→C→Aではなく、A→B→Cと書くようにした方が簡潔で見やすくなります。
問題2 解答・解説
1. 問題の要求の確認
主題:ペルシア戦争、ポエニ戦争が与えた影響の相違点
副題:政治体制・経済・軍事の面で比較して
2. 構想メモ作り
政治体制
共通点としては、両国とも領土を拡大し、帝国主義的支配を確立しました。これは教科書には明確には書いていないので覚えておきましょう。アテネは戦争後周辺の国々とデロス同盟を結び、周辺の国家の政治、経済に関与し始めるため、「アテネ帝国」とも呼ばれます。ローマは地中海西部を支配し、帝国の原型を作りました。また、両国とも既存の政治体制が変革したという点では共通しているのですが、この点に気づくのは少し難しいでしょう。
相違点としては、内政面を書けば良いでしょう。アテネでは無産市民の発言権が強まり、ペリクレスの下で男子直接民主制が完成します。これは無産市民がサラミスの海戦での三段櫂船の漕ぎ手として活躍したためです。一方、ローマでは土地が荒廃し、属州からの安価な穀物の流入もあり農民たちが没落し、無産市民になりました。彼らを使役してラティフンディアを行った富裕層が現れ、貧富の差が拡大しました。そのため市民の平等を基礎とした共和制が揺らぎ始め、国内が分裂し内乱の1世紀を経て元首政へと繋がりました。制度としては、前者は民会が最高決定機関となり、後者では元老院が衰退しました。この差をかければより高得点が望めるでしょう。
経済
共通点は何を書くのかが難しいですが、両国とも奴隷に立脚した国家であることを想起できれば、戦争で奴隷を獲得したことを書くことができます。アテネでは生産の主体が奴隷でしたし、ローマではラティフンディアの労働力として利用されました。しかし、アテネでは農民もいたので比較的奴隷労働は小規模でしたが、ローマは大規模に奴隷を利用していました。
相違点として、前者では無産市民の地位が向上し、後者では下がったことをかけるかと思います。言い換えるならば、農民が没落したかしていないかで違いがあります。(どこに書くかが難しいですが、生産力と考えて経済の項目にしました)ちなみに、アテネで農民が没落し始めるのは一般にペロポネソス戦争後としているので注意してください。
軍事
共通点はよくわからないので放置です。相違点としては、アテネでは市民兵の重要性が向上した一方で、ローマでは市民兵が潰れたという点でしょうか。ローマではその後グラックス兄弟が市民軍の再建を目指しますが失敗し、マリウスの軍政改革により私兵を利用するようになりました。
上記から、次のようなメモが作れます。

3. 答案作成
問題1と同様に、比較の問題なので対比的に書くことに留意しましょう。また、比較ができていない項目については書かない方がいい場合があります。(とりわけ字数がギリギリの場合)比較ができている項目から優先的に答案に盛り込みましょう。
(中村の解答例)
共通点:双方とも戦争に勝利して領域を拡大し、帝国主義的な支配を実現した。政治的には既存の体制の変革につながり、経済的には交易地の拡大・穀倉地の獲得とともに奴隷制を拡大した。相違点:アテネでは無産者の地位が高まり民会が最高機関となったが、ローマでは中小自営農が没落し、大土地所有者や新貴族が台頭することになり、元老院は衰退した。前者は男子直接民主制が確立したが、後者は貧富の差が拡大して共和政の基礎が揺らいで国内が分裂し、元首政に繋がった。軍事面。前者では市民兵の重要性が高まった一方、後者では市民兵は衰退しマリウスの兵制改革は私兵の利用の契機となった。(276文字)
→かなり簡潔にまとまっているので字数がかなり短くなりました。もう少し字数には余裕があります。
あとがき
最後までご覧いただきありがとうございました!
類題についてはDMで連絡して頂ければお送りします。(ある週とない週があります、ご了承ください。)ではまた来週!
添削を希望される場合は中村のTwitterのDMにてお願いいたします。(中村のTwitter:@yu_naka64)
また、彼が書いた京大世界史の攻略法は以下からご覧になることができます。効率的な学習計画を提示するとともに、参考書やWebサイトも豊富に紹介されています。