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【全国模試1位に学ぶ世界史】京大世界史 論述対策 第3講

本記事では京大模試の英語・世界史で全国1位、総合点でも全国2位を2回取った京大法学部1回生の中村による京都大学世界史の論述問題対策の記事第3回目となります。今週も論述力を鍛えていきましょう。ぜひ最後までご覧になってください!

彼の紹介はこちらから→【ライターの紹介】中村 悠生(京都大学法学部1回生) | Sacramy

目次

  1. まえがき
  2. この論述対策の活用法
  3. 問題
  4. 問題1 解答・解説
  5. 問題2 解答・解説
  6. あとがき

まえがき

こんにちは、ライターの中村です。これから毎週更新をしていく京大世界史の論述対策第3回です。できる限り毎週更新していきますのでよろしくお願いします!(遅れたらすいません。)では、いきましょう!

この論述対策の活用法

進め方

1. 約1週間で更新される論述問題を2題解く。

2. 解答・解説をもとに学習する。

3. 復習を繰り返す。

注意

1. 解答をいきなり書き始めない
→後で思い出して記述に追加したい内容もあるので、先にメモを作りましょう。

2. 必ずしも紙に書く必要はない
→スマホで打つだけでもよいです。ただし、字数はきちんと守ってください。

3. できるだけ添削を受ける
→自分ではわかっていなかったところに気づけるでしょう。

4. 教科書や参考書などを見ながら書く
→正確な知識に基づいて書くことで正確な知識が身に付きます。

答案の添削について

これらの注意点を踏まえ、中村が希望者に添削をしたいと思います。条件は以下の2点です。

1. TwitterのDMで行います。Twitterのアカウントは@yu_naka64です。

2. 添削希望の答案をスマホで打ってDMに送ります。写真を撮ったものは受け付けません
→答案から一部分を抜き出して適宜コメントできるようにするためです。

無料で添削を受け付けていますので、どしどし応募してみてください!

問題

・論述問題5-中国
前5世紀から前2世紀の間に中国は大きな政治的変動を起こしたが、それがその後2000年続く中国の政体を決定することとなった。この政体変動について、各王朝が採用した官僚やその思想にも留意しながら具体的に300字以内で述べよ。

・論述問題6-中国
中国における南北朝時代は政治的分裂の続く混乱期である一方、隋唐の出現を準備する新しい要素が生まれた時代として中国史上重要な時代を占めている。南北朝時代の政治、文化の特徴を、南北の差異に留意して300字以内で記せ。

問題1 解答・解説

1. 問題の要求の確認

主題:前5世紀から前2世紀の間の中国での政体変動

副題:各王朝が採用した官僚やその思想にも留意しながら具体的に

2. 構想メモ作り

前5世紀といえば戦国時代。晋が3つに分裂して始まりました。この頃までは周の時代から引き継がれてきた封建制が続いていましたが、戦国時代を機に七雄の諸国は郡県制を採用し始めます。秦だけでなく、他の国々も採用していることに気をつけましょう。郡県制ですが、全土を分割して中央から派遣した官僚に治めさせる、という制度だと認識しておいてください。

のち、時代がくだると今度は秦が勢力を拡大します。ここで採用されたのが法家の商鞅でした。法家思想は厳格な法の執行を原則とする思想でした。その後、始皇帝が中国全土の統一に成功します。秦の政体といえば中央集権です。というか、中国王朝は基本、中央集権を目指しました。そのための政策として、郡県制や専売制、などがあります。また、法家の李斯を採用して法による統治をより徹底しました。

しかし、そんな秦も統一を急いだ結果反乱ですぐに滅びます。その後、前漢がおこり、中国全土を統一します。前漢は秦の採用していた郡県制から、郡国制に切り替えました。郡国制とは、中央を郡県制で治め、地方を封建制で治める形態です。しかし、景帝のころに諸侯を削減しようしたことに対して呉楚七国の乱が起こります。これを鎮圧したことで、次の武帝の頃には全土に権力が浸透し、全土を郡県制で治めることに成功しました(実際は郡国制なので、実質郡県制ということが多い)。武帝は董仲舒の建言で儒学を官学化し、皇帝権を神聖化しました。このあと、儒学が浸透してのちの中国王朝の統治を助けることになります。

長くなりましたが、政体変動としては、

戦国時:郡県制が主流に
秦統一:郡県制利用
秦滅亡, 前漢成立:郡国制利用
呉楚七国の乱:実質郡県制に

という流れです。基本的に中央集権というのは変わりません。

3. 答案作成

(中村の解答例)
前5世紀に晋が三分して韓魏趙となり戦国時代がはじまった。各国が封建制に代わり郡県制を採用していき、戦国七雄の中で法家の商鞅を採用した西方の秦が台頭し、前3世紀に統一に成功した。始皇帝は法家の李斯の意見にしたがい全国を36郡にわけて、直接中央から派遣した官吏におさめさせる郡県制をしいた。しかし急激な改革で失墜し、秦にかわった前漢は中央を郡県制とし地方に一族や功臣を諸侯に封じ封建制とする郡国制をしいた。だが景帝のときに呉楚七国の乱がおきて地方の国々の領土を縮小していき、次の武帝のときに中央から官僚を派遣して郡県制とかわらない中央集権を確立した。武帝は董仲舒の献策により儒学を採用し皇帝権を神聖化した。(300文字)

問題2 解答・解説

1. 問題の要求の確認

主題:南北朝時代の政治、文化の特徴

副題:南北の差に留意して

2. 構想メモ作り

まず、隋、唐の特徴から抑えましょう。大きな特徴としては、

1. 貴族中心の政治であること
2. 皇帝が全土を統一していること
3. 国際的文化が花開いたこと

などが挙げられます。

前提:結局、北朝側が中国を統一することになるので、基本的に北朝の政策などが引き継がれていきます。

1, 2:貴族中心の政治はどこからきたものなのでしょうか。これは、魏で行われた九品中正によって地方豪族が上級官僚を独占したことによります。門閥貴族の形成ですね。

貴族は北、南どちらでも勢力を強めていましたが、北と南では進展は異なるものでした。北では、比較的皇帝権が強力であったため、貴族は国家権力の下に組み込まれました。これを支えたのが北魏の均田制、西魏の府兵制です。これによってのちの皇帝権力は安定していきました。一方、南では、皇帝権は弱く、典型的な貴族政治が行われていました。

3:国際的な文化も、北朝由来のものでした。北魏による漢化政策や、西域との交流が活発になって国際性豊かな文化が生まれました。一方、南朝では、貴族文化が生まれて、文芸などが盛んになりました。仏教は北部では国家仏教となる一方、南部では貴族に広がるのみでした。道教が広まったのもこの時代の特徴です。

3. 答案作成

比較に気をつけて書きましょう。

(中村の解答例)
政治的には、九品中正により、地方豪族が上級官職を独占するようになり門閥貴族が形成された。南朝では皇帝権が弱く、典型的な貴族政治が行われたが、北朝では皇帝権が比較的強力で、これを北魏の均田制や西魏の府兵制が支えた。これにより貴族勢力が抑え込まれ、隋や唐の統治へと繋がった。文化。南朝では優美な貴族文化が発達し、文芸が貴族の活動として栄えた。一方華北では王朝による漢化政策や西域との交流により、国際的な文化が生まれた。また、仏教が定着し、道教も成立するなど新しい宗教が流行した(237文字)

→短めですが、しっかり比較した答案です。

あとがき

最後までご覧いただきありがとうございました!

類題についてはDMで連絡して頂ければお送りします。(ある週とない週があります、ご了承ください。)ではまた来週!

添削を希望される場合は中村のTwitterのDMにてお願いいたします。(中村のTwitter:@yu_naka64

また、彼が書いた京大世界史の攻略法は以下からご覧になることができます。効率的な学習計画を提示するとともに、参考書やWebサイトも豊富に紹介されています。

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Y. S.

洛北(中高一貫)→京都大学理学部3生|元駿台特待, EX生|予備校勤務 |個別指導講師(英数)|高3時, 京大模試英語で全国15位以内を1年間で7回達成|ポケモン全国3位(2013), 全国Top8(2017), 全国Top4(2018)|大学受験英語・数学や大学の学問紹介の記事を中心に書いています。

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