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【全国模試1位に学ぶ世界史】京大世界史 論述対策 第4講

本記事では京大模試の英語・世界史で全国1位、総合点でも全国2位を2回取った京大法学部1回生の中村による京都大学世界史の論述問題対策の記事第4回目となります。今週も論述力を鍛えていきましょう。ぜひ最後までご覧になってください!

彼の紹介はこちらから→【ライターの紹介】中村 悠生(京都大学法学部1回生) | Sacramy

目次

  1. まえがき
  2. この論述対策の活用法
  3. 問題
  4. 問題1 解答・解説
  5. 問題2 解答・解説
  6. あとがき

まえがき

こんにちは、ライターの中村です。これから毎週更新をしていく京大世界史の論述対策第4回です。できる限り毎週更新していきますのでよろしくお願いします!(遅れたらすいません。)では、いきましょう!

この論述対策の活用法

進め方

1. 約1週間で更新される論述問題を2題解く。

2. 解答・解説をもとに学習する。

3. 復習を繰り返す。

注意

1. 解答をいきなり書き始めない
→後で思い出して記述に追加したい内容もあるので、先にメモを作りましょう。

2. 必ずしも紙に書く必要はない
→スマホで打つだけでもよいです。ただし、字数はきちんと守ってください。

3. できるだけ添削を受ける
→自分ではわかっていなかったところに気づけるでしょう。

4. 教科書や参考書などを見ながら書く
→正確な知識に基づいて書くことで正確な知識が身に付きます。

答案の添削について

これらの注意点を踏まえ、中村が希望者に添削をしたいと思います。条件は以下の2点です。

1. TwitterのDMで行います。Twitterのアカウントは@yu_naka64です。

2. 添削希望の答案をスマホで打ってDMに送ります。写真を撮ったものは受け付けません
→答案から一部分を抜き出して適宜コメントできるようにするためです。

無料で添削を受け付けていますので、どしどし応募してみてください!

問題

・論述問題7-北方民族
4世紀から9世紀に至るまでの北方遊牧民の興亡について、その文化や中国との政治的関係にも留意しながら、300字以内で記せ。

・論述問題8-中世ヨーロッパ
11世紀後半に勃発した叙任権闘争以降,ローマ教皇権は大いに伸張した。しかしそれはいつまでもつづかなかった。11世紀から15世紀にいたるローマ教皇権の盛衰の過程を300字以内で論述せよ。

問題1 解答・解説

1. 問題の要求の確認

主題:4世紀から9世紀にかけての北方遊牧民の興亡

副題:文化や中国との政治的関係に留意して

2. 構想メモ作り

北方遊牧民の興亡の流れは以下の通り。

鮮卑→柔然→突厥→ウイグル→キルギス

この5つについて見ていきましょう。

1. 鮮卑は、主に4世紀から活躍しました。注意してほしいのは、鮮卑はもともとモンゴル高原にいて、その後に南下して華北に入りました。のちに北魏を建国して、5世紀前半に華北を統一しました。文化面では、漢化政策や仏教の保護などを行いました。

2. 柔然は鮮卑が華北に入ったのち、モンゴル高原を支配しました。5世紀前半です。文化面としては、可汗の称号を初めて使い始めました。

3. 突厥は柔然を滅ぼして6世紀半ばに建国しました。しかし、中国の攻撃で東西分裂してしまい、のちに中国の都護府の支配下に入ってしまいます。文化面では、北方遊牧民としては初めて文字を作りました。

4, 5. ウイグルは8世紀頃から台頭しました。唐の安史の乱の鎮圧を助けたという関係があります。このお返しに、唐の絹とウイグルの馬を交易する貿易が始まりました。文化的には、ウイグル文字を作り、マニ教を国教としました。しかし、キルギスの侵入で解体します。

3. 答案作成

(中村の解答例)
モンゴル高原を支配していた鮮卑は南下して華北に入り、4世紀には匈奴などと共に五胡と呼ばれた。後に北魏を建国して5世紀前半には華北を統一した。漢化政策をとり、仏教を保護した。同時期に、柔然が高原を支配し、北魏と対立した。6世紀半ばには突厥が柔然を滅ぼして建国したが、東西分裂した。以後、隋唐の攻撃を受けて、唐代には都護府の支配下に入った。突厥は遊牧民として最古の突厥文字を残した。8世紀にはウイグルが台頭し、安史の乱の鎮圧に活躍した。ウイグル文字を作った他、マニ教を国教として栄えたが、9世紀にキルギスの侵入で解体した。
(259文字)

問題2 解答・解説

1. 問題の要求の確認

主題:11世紀から15世紀まで教皇権の盛衰

2. 構想メモ作り

教皇権の盛衰をざっくり書いてみると以下の通りになります。

・叙任権闘争で教皇権高まる
・最盛期
・仏王との対立で衰退していく

という流れです。具体的に見ていきましょう。

1. 叙任権闘争は何度も出てくるところなのでわかりやすいと思います。教皇グレゴリウス7世と皇帝ハインリヒ4世の対立ののち、教皇が皇帝を破門しました。皇帝は破門を解かれなければ退位させると帝国内の諸侯から言われたため、教皇に謝罪しました。これがカノッサの屈辱です。そして、ヴォルムス協約で皇帝は聖職叙任権を失ったことで、教皇権が高まります。

2. 最盛期については、教皇がどのようなことをしていたかを抑えれば良いでしょう。十字軍の指揮、各国の王の破門などを行いました。有名な教皇はインノケンティウス3世でしょう。

3. しかし、十字軍の失敗で教皇権の衰退が始まります。教皇ボニファティウス8世は仏王フィリップ4世と対立し、より衰退が始まります。アナーニ事件で教皇が敗れると、教皇のバビロン捕囚で連れ去られてしまいます。その後、教会大分裂(大シスマ)で教会の腐敗が進みます。コレに対して、ウィクリフやフスが教会の改革を主張しました。この対立は、コンスタンツ公会議で教皇庁をローマに限ることで解決しましたが、教皇権は失墜したまま回復しませんでした。

このような経過を通りました。簡単なところなのできちんと覚えるようにしてください。

3. 答案作成

この問題も流れを書くだけなので、難しくはないと思います。流れを守って書いていきましょう。

(中村の解答例)
教皇グレゴリウス7世に皇帝ハインリヒ4世が謝罪したカノッサの屈辱の後、双方の戦いがはじまり、12世紀のウォルムス協約で皇帝の叙任権が否定されて教皇権が高まった。1200年頃インノケンティウス3世は、イギリスのジョン王やフランス王フィリップ2世を屈服させ、教皇権は絶頂に達した。しかしボニファティウス8世がフィリップ4世と争ってアナーニで敗れ、その後、教皇のバビロン捕囚で教皇は仏王の干渉を受け、続いて教会大分裂がおき教会の腐敗が進んだ。これに対しウィクリフやフスが教会の改革を主張した。コンスタンツ公会議で教会大分裂は教皇庁をローマに限ることで終結したが、教皇権は失墜したままであった。
(289文字)

あとがき

最後までご覧いただきありがとうございました!今回の二題は流れを書くだけで、シンプルな問題であったので、取り組みやすかったと思います。よく復習しておいてください。

類題についてはDMで連絡して頂ければお送りします。(ある週とない週があります、ご了承ください。)ではまた来週!

添削を希望される場合は中村のTwitterのDMにてお願いいたします。(中村のTwitter:@yu_naka64

また、彼が書いた京大世界史の攻略法は以下からご覧になることができます。効率的な学習計画を提示するとともに、参考書やWebサイトも豊富に紹介されています。

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Yuya Sakurada

洛北(中高一貫)→京都大学理学部2回生|元駿台特待, EX生|予備校勤務 |個別指導講師(英数物)|高3時, 京大模試英語で全国15位以内を1年間で7回達成|ポケモン全国3位(2013), 全国Top8(2017), 全国Top4(2018)|大学受験英語・数学や大学の学問紹介の記事を中心に書いています。

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