本記事では京大模試の英語・世界史で全国1位、総合点でも全国2位を2回取った京大法学部1回生の中村による京都大学世界史の論述問題対策の記事第5回目となります。今週も論述力を鍛えていきましょう。ぜひ最後までご覧になってください!
彼の紹介はこちらから→【ライターの紹介】中村 悠生(京都大学法学部1回生) | Sacramy

目次
まえがき
こんにちは、ライターの中村です。これから毎週更新をしていく京大世界史の論述対策の第5回です。できる限り毎週更新していきますのでよろしくお願いします!(遅れたらすいません。)では、いきましょう!
この論述対策の活用法
進め方
1. 約1週間で更新される論述問題を2題解く。
2. 解答・解説をもとに学習する。
3. 復習を繰り返す。
注意
1. 解答をいきなり書き始めない
→後で思い出して記述に追加したい内容もあるので、先にメモを作りましょう。
2. 必ずしも紙に書く必要はない
→スマホで打つだけでもよいです。ただし、字数はきちんと守ってください。
3. できるだけ添削を受ける
→自分ではわかっていなかったところに気づけるでしょう。
4. 教科書や参考書などを見ながら書く
→正確な知識に基づいて書くことで正確な知識が身に付きます。
答案の添削について
これらの注意点を踏まえ、中村が希望者に添削をしたいと思います。条件は以下の2点です。
1. TwitterのDMで行います。Twitterのアカウントは@yu_naka64です。
2. 添削希望の答案をスマホで打ってDMに送ります。写真を撮ったものは受け付けません。
→答案から一部分を抜き出して適宜コメントできるようにするためです。
無料で添削を受け付けていますので、どしどし応募してみてください!
問題
・論述問題9
中世末期にイギリスとフランスの間におこった百年戦争について、戦争のきっかけ、戦争の原因となった両国の利害対立、フランスにおけるこの戦争の歴史的意義を、300字以内で記述せよ。
・論述問題10-
今日、ひろく世界の諸国における政治生活の基礎をなしている代議制は、その歴史的成立に即して見ると、中世ヨーロッパ諸国に特有の身分制議会にさかのぼる。そこでイギリスを例にとして、中世の身分制議会から17世紀までの議会政治の展開をたどり、この議会の展開が、他の国のそれと比べて、どのような相違点をもっているかについても、300字以内で言及せよ。
問題1 解答・解説
1. 問題の要求の確認
主題:百年戦争のきっかけ、両国の利害対立、仏における歴史的意義
2. 構想メモ作り
1. きっかけ
仏でカペー朝が断絶したのち、ヴァロワ朝が成立しました。その時、英王のエドワード3世が仏王位の継承を主張したことがきっかけです。この理由は、エドワード3世の母がカペー家出身であったことに由来します。
2. 利害関係
仏が領土を英に要求したことが利害対立に結びつきます。要求した領土は、ギュイエンヌ地方と、フランドル地方が主です。ギュイエンヌ地方は、ワイン生産で有名な土地です。フランドル地方は、毛織物生産で有名です。前者は英が保有している領土で、後者は英が羊毛を輸出していた土地です。
3. 歴史的意義
英の勢力をカレー以外から追い出したことが一点。これにより国土を統一することに成功しました。また、長期間にわたる戦争に従軍した騎士や諸侯が勢力を失いました(火器の利用にもよるところがあります)。これによって入り組んだ封建知行制が完成され整理され、国民国家の形成が促されました。また、財政再建や常備軍を置くことで、絶対主義が準備されました。他に、戦争中に黒死病が流行して農村人口が激減したことや、農民一揆の頻発によって、荘園の解体が早まったことも挙げられます。
3. 答案作成
3つに分けて書けばいいでしょう。そこまで難しくないと思います。
(中村の解答例)
きっかけ:仏でカペー朝が断絶しヴァロワ朝が成立すると、母がカペー家の英王エドワード3世が仏王位継承権を主張した。利害関係。仏は毛織物で有名なフランドル地方とワインで有名なギュイエンヌ地方を直接支配下に置こうとした。しかし前者は英が羊毛を輸出し、後者は英の領土であった。意義:今までは王権が弱体で大諸侯が強かったが、長期の戦争で諸侯や騎士は没落する。一方で仏王シャルル7世は常備軍の設置や官僚制の整備をしたので中央集権化が進み、仏絶対王政への道が開かれた。また、カレー以外の大陸領から英を追放した。
(248文字)
問題2 解答・解説
1. 問題の要求の確認
主題:英の議会政治の展開と仏との相違点
時期:中世〜17世紀まで
2. 構想メモ作り
1. 英の流れ
13世紀:ジョン王、大憲章を認める
シモン=ド=モンフォールが議会を開く
エドワード1世の模範議会
14世紀:二院制が確立(エドワード3世)
15世紀:テューダー朝が成立、議会を軽視
16世紀:宗教改革、議会立法で達成
17世紀:ステュアート朝、議会を軽視→権利の請願
清教徒革命→議会派の勝利
王政復古後、審査法や人身保護法で対抗、政党の原型できる
権利の章典で議会主権成立
という流れです。
2. 仏との相違点
仏の三部会はすぐに開催されなくなり、身分別が厳格です。一方、英の議会は長期的に開かれて、身分別は曖昧でした(貴族でも上と下に別れました)。
3. 答案作成
書く量が多いので字数の配分に気をつけましょう。
(中村の解答例)
展開:13世紀、ジョン王により大憲章が承認されてここに立憲政治の基礎がおかれた。次のヘンリ3世が大憲章を無視するとシモン・ド・モンフォールが議会をひらく。これが英議会の起源である。その後エドワード1世により模範議会も招集された。14世紀には二院制が成立。15世紀テューダー朝は議会を軽視したが、その後16世紀の宗教改革は首長法、統一法など議会立法を通じて達成した。17世紀清教徒革命では議会中心の共和政が成立するもクロムウェルが独裁化した。王政復古後の対立で政党の原型が成立し名誉革命での権利の章典で議会主権に基づく立憲王政が確立。相違点。仏の三部会は閉鎖され身分別厳格だが、英は長く開かれ身分別は曖昧。
(297文字)
あとがき
最後までご覧いただきありがとうございました!今回の二題は流れを書くだけで、シンプルな問題であったので、取り組みやすかったと思います。よく復習しておいてください。
類題についてはDMで連絡して頂ければお送りします。(ある週とない週があります、ご了承ください。)ではまた来週!
添削を希望される場合は中村のTwitterのDMにてお願いいたします。(中村のTwitter:@yu_naka64)
また、彼が書いた京大世界史の攻略法は以下からご覧になることができます。効率的な学習計画を提示するとともに、参考書やWebサイトも豊富に紹介されています。